キスよりも早く 2
「イルカ先生」
名前を呼ばれ、イルカは慌ててファイルに落としていた視線を上に向ける。
右目以外を額宛てと口布で隠した忍服姿の男が、苦笑しながら報告書を差し出していた。
「お疲れですか?」
優しく声を掛けられ、イルカの頬が一瞬にして熱く火照る。先程まで考えていた男が目の前に現れたことによる驚きもあるが、いくら受付が暇だったとはいえ、ぼうっとしていたところをカカシに見られてしまうとは――。
職務怠慢と思われても仕方がない。
己の失態にイルカは穴があったら入りたいと、羞恥に身を縮こませる。
「す、すみません!ぼんやりしてて…」
兎も角、これ以上の失態はカカシに見せられない。
動揺のあまり微かに震える指先を誤魔化すように、イルカは判子を握りしめて書面の文字を必死になって眼で追った。
見なれた報告書だ。いつもなら直ぐにチェックを終えてしまうのに、この日に限って文字が上手く頭の中に入らない。
何とか確認印を押した時には、いつもの倍以上の時間が掛っていた。
「お待たせしてすみません。報告書、受理しました。お疲れ様です」
「い~え」
ぺこりと頭を下げると、カカシのちょっと軽い気の抜けたような応えが返る。声の様子から怒ってはいないようで、ほっと息を吐く。
無事に報告書を受理したことで、イルカも幾分落ち着いてカカシを見上げることが出来た。
隣に立つくの一の姿を覚悟していたのに、カカシは一人で立っていた。
先程まで一緒にいたくの一はどうしたのだろうか。
イルカは無意識に受付所の中を見渡した。
いない…。
外で待ってるのかな…。
ツキン、とまた胸が痛んだ。
「イルカ先生?」
「…っ、あ、はい。何でしょうか」
「具合でも悪い?」
「そんなことないです!」
眉を顰めて覗きこんで来るカカシに、イルカは慌てて首を振る。
「そ?何だか様子がおかしかったから…」
心配してくれることが嬉しい反面、後ろめたい気持ちにもなる。
カカシのことばかり考えて、カカシと付き合いのあるくの一を羨んで、周りに対する配慮が疎かになっていただけなのだ。
カカシにそのことを知られたら、と考えれば考えるほどイルカは己のあさましさに恥ずかしくなった。
「ね、先生。この後、暇ですか?」
「え?」
「飲みに行きませんか?」
にこりと笑みを浮かべてカカシは杯を傾ける仕草をする。
「え?…あの、予定は…?」
一緒にいたくの一はいいのだろうか?
「予定あるんですか?」
「いえ、ないですけど!」
逆に聞き返され、イルカは慌てて手を振って予定はないと伝える。
「終わるの何時?」
「えと…あと1時間ほどです」
「じゃあ、待機所にいますから終わったら迎えに来て貰えますか?」
「…はい。分かりました」
「ん、待ってますね」
戸惑いがちに頷くと、カカシは手を振って受付所を出て行った。
胸は苦しいままだったけど、カカシに誘って貰えたことが純粋に嬉しかった。
続く
- 2009/08/08 (土) 04:25
- 中編