【wahnsinnig】

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三叉路の怪

 木の葉の神社と死の森の途中の三叉路に古びた小さな祠がある。
「俺、あの三叉路って苦手なんですよね」
 酒をちびりと口に含み、イルカがそんなことを言った。
「何で?そんなに怖い場所だっけ?」
 騒がしい酒場では言葉が良く聞き取れない。カカシは下心を隠しながらイルカへ顔を寄せるようにして問い質した。
「怖いというか…怖い目に合ったと言うべきですかね」
 間近で見たイルカの顔は酒のせいでほんのり赤く、黒い瞳は僅かばかり潤んでいたが、表情は少し硬かった。
 近くにある祠は木々に囲まれ少々薄気味悪い雰囲気を漂わせていたが、三叉路自体は遮るものがない開けた場所だ。通り沿いにある花壇には季節ごとに違う花が植えられ、少し離れた場所には小さな公園もあって管理小屋には夕刻まで管理者が詰めている。電灯も設置されているので夜でも比較的明るい場所だ。どちらかというと、里の住人は死の森へ向かう道筋を怖れる者の方が多い。
 カカシにとってもあの三叉路は怖れるほどの場所でもないので、どうしてイルカが嫌うのか不思議に思って再度問うと、笑わないで下さいね、と前置きをされてイルカは理由を話し始めた。



「あれは…俺がまだアカデミーに入学する前、父親に連れられ三叉路近くの公園へ遊びに来た時のことでした」
 当時は今のように整備されていなかったが、公園には水飲み場があって、イルカはそこで一人で遊んでいた。父親は何処に行ったのか姿は見えない。
 水飲み場で手を濡らし、ひとしきり遊んでいると、いつの間にかイルカの前に一人の男が立っていた。
 容姿は良く覚えていない。だが、男は父親より若く、中忍以上の者に支給されるベストを着ていたことははっきりと記憶している。
 男は無言のまま、いきなりイルカの腕を掴んだ。そしてぐい、と強くひっぱり公園から連れ出そうとした。
「今から考えると変質者か誘拐犯なんですけど、俺は最初その男に対してまったく怖いとは思いませんでした」
 何故ならば、手を引く男の感触がまるでなかったからだ。皮膚の温もりや手を掴む圧迫感といったものが一切感じられなかった。
 よくよく考えれば、そのこと自体おかしなことで普通なら恐怖を感じるところだが、幼かったイルカはそのことをただ不思議に思っただけでされるがままだった。見ず知らずの怪しい人間に着いて行くことが、どれほど恐ろしいことか理解していなかったのだ。
 腕は半ば自分の意思で空中に突き出しているかのような状態だった。イルカはそれを無言で見上げ、男も無言で腕を引いて歩く。
 感触はないのに引っ張る力は確実に強まり、イルカは引きずられるような形で公園の出口まで来た。通りを進み右へ行けば死の森、左へ行けば木の葉神社に続く参道が見えてくる。
 男はそのどちらでもなく中央にある祠へと向かっているようだった。道から外れ、吸い寄せられるように男が祠へと進んだ時、イルカは急に恐ろしくなって、その引く力に逆らった。足を踏ん張り、口を引き結んでイルカは腕に力を込めた。動いてはいけない、話してもいけない、と心の何処かで思っていたようだ。だが、男はイルカの腕を引っ張り続け、それは抗えば抗うほど強まっていく。
 イルカは必死で耐えた。しかし、遂に耐えきれず大きく悲鳴を上げてしまう。肩が外れてしまったのだ。
 泣き叫ぶイルカを男は無視して引きずっていく。
 もう駄目だ、と思ったその時、イルカの目の前が真っ赤に染まった。
 すると、男の腕が離れイルカはバランスを崩して地面に転がった。
 イルカは何が起こったのか分からず、動く方の腕で顔に触れる。ぬるりと濡れた感触がして、驚いて手のひらを見ると血がべったりとついていた。視界を覆った真っ赤なものはイルカから噴出した血だったのだ。
 血はなかなか止まらず、傷は痛いというより熱くてイルカは呆然と手のひらを見詰める。
 座り込んだイルカの傍に何かが降り立った気配がして顔を上げると、灰色の毛皮がイルカの視界に飛び込んだ。男とイルカの間に銀色に輝く獣が立ち塞がっていた。子供のイルカよりも二回りほど大きな獣だ。

『コレハモウ俺ノ獲物ダ。穢ラワシイ手デ触ルナ』

 獣はそう宣言したかと思うとイルカの首根っこを咥え、軽々と跳躍して祠から離れた。男の姿が陽炎みたいにゆらりと歪み、異形の姿に変化する。地面に下ろされたイルカはひっと息を吸い込み目の前の獣にしがみ付いた。
 鋭い爪でイルカを傷つけ、血塗れにしたのは獣だったが、この身を守ってくれるのもこの獣だとイルカは理解していた。
 獣がイルカを振り返り一瞬だけ視線が絡む。叡智を湛えた双眸に揺らめく蒼い焔が見えた気がした。
 その背後から最早ヒトとは言えない姿となった男が近付く。

『逝ネ!』

 獣が吼えると男の姿は掻き消えるように霧散した。



「これがその時の傷です」
 そう言って、イルカは鼻の上を横切る大きな傷を指先で撫でた。
「それで、その獣はどうしたんですか?」
「分かりません。気付いたら病院で…父によると公園で行方不明になった俺は、3日後に三叉路で倒れてるのを発見されたんだそうです」
 肩は脱臼しており、顔に一文字の傷を負っていたが、血は既に止まっていたそうだ。
「俺から男の話を聞いた父は、火影様に報告して周囲を探索したらしいんですが、犯人らしい男の痕跡は見つかりませんでした」
 それからあの一帯を整備して管理者を置くようになったらしい。
「獣も見つからなかったんですか?」
「いえ。獣のことは誰にも話しませんでした」
「どうしてですか?その傷はそいつの所為なんでしょ?」
 ついっとカカシに傷痕を撫でられ、イルカはびくりと肩を揺らす。
「…あれは俺を助けてくれたんです」
 困ったように眉を下げて、ちびりとまた酒を舐める。
「お礼を言いたかったけど、あの場所でまた男に会ったらと思うと一人で行けなくて…」
 手にした杯を卓上に置いて、戸惑いがちにイルカはカカシを見上げた。黒い瞳がゆらゆらと揺れている。
 もの問いたげなその瞳は、こうしてカカシがイルカと一緒に過ごすようになってから何度か見たものだ。
「それに…あの獣のことは話したらいけない気がしたから」
「そうなの?だったら、俺に話しちゃって良かったの?」
 小首を傾げ意地悪くそう言うと、イルカは益々困ったように眉を寄せて唇を噛む。
 困った様子のイルカが可愛くてカカシは目を細める。もう一度鼻の上の傷に触れてからゆっくりと唇を撫でた。
 ほどけた唇が微かに震えて、イルカは抗うように顎を引く。
「ね、どうして?」
「……っ」
 尚もすりすりと唇を撫でると、イルカは堪えきれなかったのか口を閉ざしてしまった。
 それが残念でカカシは再度言葉を重ねる。
「ねぇ、教えてよ」
 衝立のお陰でカカシ達の姿は周囲から見咎められることはない。カカシはイルカに顔を寄せ、舌を出して傷痕を舐めた。
「カ、カカシさん…っ」
「ん?」
 ばくばくとイルカの心臓の音が聞こえてきそうだ。耳まで赤くしたイルカの顔を眺め、カカシは心の中で舌舐めずりする。
 なんて、美味しそうな匂い。
 逸る気持ちを抑え、カカシはイルカの答えを待つ。
「…違ってたらすみません。あの、…あの獣は、カカシさんなんじゃないですか?」
 夜空を思わせる漆黒の瞳がカカシを見据える。
 決意を秘めたその眼は、じっとカカシの様子を伺っていたが、何の反応も返らないことに失望してか、悲しみの色をゆるりと滲ませ伏せられた。
 そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに、と思いながらもカカシは己の反応に一喜一憂するイルカが愛しくて仕方がない。
「どうしてそう思ったんですか?」
 空になった杯に酒を満たし、カカシは優しくイルカに問いかける。
 ゆっくりと睫毛が持ち上がり、再び黒い瞳にカカシを映す。
「…傷が…」
「傷が?」
「……疼くんです。あなたが触れると…」
 潤んだ瞳は黒曜石のように艶めいて美しい。
 気付かなければ、知らぬふりも出来ただろうに。哀れで愛おしい獲物にカカシはほくそ笑む。
「すみません…変なこと言って」
 俯いたイルカは自分の発言を悔んだようだ。今にも立ち上がって逃げ出しそうな気配がした。
「その傷はね、呪印みたいなもんなんです」
「………」
「俺が付けました」
 やっぱり、と小さく呟きイルカが縋るようにカカシを見た。
 ついっとイルカのこめかみに腕を伸ばして乱れ落ちた髪を掬い上げる。ついでとばかりに触れた頬は燃えるように熱かった。
「傷だけじゃなく…身体も疼くんでしょ?」
「……あっ」
「俺の発情に合わせて疼くんですよ」
 カカシの青灰色の瞳がゆったりとたわみ、引き上げた口の端から赤い舌が覗く。
「…え?…あのっ、それって…」
「黙っててごめーんね」
「カカシさ…っ」
 イルカの顎を持ち上げ、カカシは噛みつくように口付ける。
 目を見開き驚きのあまり固まったイルカの手を掴み、角度を変えて口付けを深くする。満足するまで口内を蹂躙し、唾液を啜って唇を離すと、晒された無防備な首筋に舌を這わせながら牙を衝き立てた。

 ツカマエタ――

「…もう、喰ってもいいよね?」
 ずっと来るのを待ってたんだから――。

 そのカカシの言葉を最後に、イルカの意識は闇に沈む。
 怖ろしさは一度も感じなかった。



「おや?ここに居たお客さんは?」
「さあ?知らないよ」
 新しい酒とつまみを運んで来た女将が首を傾げて卓上を見る。
 数枚のお札とひっくり返った杯が転がっているだけで、銀色と黒髪の二人連れのお客はいつの間にか姿を消していた。



終

元ネタ「文豪てのひら怪談」より。

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初出:企画サイト「夏萌えカフェ」
期間:2009/08/01~09/30

  • 2009/08/22 (土) 01:07
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