月夜の邂逅
山を越え、木々の合間から木の葉の大門が見えた時、周囲の仲間達の表情から緊張が解けて安堵の色が広がった。
もちろんイルカも肩の力を抜いて、赤く染まり始めた山間をぐるりと眺めて目を細めた。
三ヶ月ぶりの帰還だった。
「じゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
口々に労いの言葉を掛け合いながら、無事に帰れた嬉しさを隠すことなく仲間達はそれぞれの家に帰って行った。
「じゃあな、イルカ。お疲れ様」
「おう。お前もお疲れ様。またな」
同期の仲間へ手を振ってイルカも歩き出したが、家が近付くにつれて足の歩みが遅くなる。
15歳で中忍になり、がむしゃらに任務をこなして気付けば四年の歳月が過ぎていた。
アパート暮らしにも慣れたし、それなりに快適に過ごしていたけど、ふとした拍子に足元を掬われるような暗闇に襲われ立ち尽くす時がある。
真っ暗な部屋にポツンと一人取り残された子供の頃を思い出し、動けなくなるのだ。
三代目や上忍師の先生のお陰でかなり改善されたが、完全に克服するのは難しい。
普段は気にもしないのに、今回のように長期間部屋を空けた場合に陥り易かった。
身体は疲れているし、お風呂にも入りたい。埃っぽくても安全な部屋でゆっくり眠ることも出来るのに、どうしても足が家に向かない。
無意識にアパートとは反対方向の道を進み、目に留まった公園のベンチに腰を下ろす。
上空には銀色の月が輝いていた。
大門の前で解散したのはまだ太陽が完全に沈む前だ。
一体、どれほどの時間を彷徨っていたのか。自分でも可笑しくなってイルカは虚しく笑う。
月に照らされた公園には人影もなく、只、虫の音だけが微かに聞こえて来る。
「…何やってんだか…」
項垂れ、ポツリと独り言を呟く。
「ホントにね」
「えっ!?」
頭上から突然答えが返って来て、驚きのあまりイルカの身体がびくんと大きく跳ねてベンチが軋んだ音を立てた。
「あ、ごめん。びっくりさせた?」
顔を上げると、白々と輝く月を背にして一人の男が目の前に立っていた。
銀色の髪が風に揺れ、羽織っていたマントから白いベストが覗いて見える。動物を模した白い面が座ったままのイルカを無言で見下ろす。
イルカの記憶が間違ってなければ、目の前の男の装束は暗部のものだ。
そこまで確認してから、イルカはあんぐりと口を開けて固まった。
何故、ここに暗部がいるのか。
知らないうちに自分は何かまずいことでも仕出かしたのだろうか。
疑問が浮かんでは消え、固まった状態でイルカはぐるぐると頭を悩ませる。
「こ~んば~んは。ね、隣いい?」
そんなイルカの苦悩を知ってか知らずか、気の抜けるような声で挨拶をした狗面の暗部は、イルカの隣を指差し小首を傾げた。
「ああ、何だ任務帰りなんだ」
「…はい」
「死にそうな顔で座っているから、どうしたのかなぁと思ったんだけど、疲れてたんだね~」
「はあ、まあ…」
本当は違うんだけど、流石に今日会ったばかりの暗部の男へ自分のトラウマを話す訳にもいかず、イルカは曖昧に頷いて言葉を濁す。
それよりも、暗部と二人並んでベンチに座り、和やかに会話しているこの状態が信じられなかった。
イルカはどうしたら良いのか分からず、もじもじと腰を動かす。帰るタイミングを完璧に逃してしまっていた。
「そっか~。お疲れ様」
「あ、ありがとうございます」
ぴょこりと反射的に頭を下げたイルカは、「俺、暗部に労われちまったよー!」と脳内で叫ぶ。
もういっぱいいっぱいで、疲れどころか薄暗かった気持ちまでもが吹っ飛んでしまった。
「俺はアンタとは逆で、これから単独任務なんだよね~」
「え!そうなんですか?」
「うん。人使い荒くってさ~。たまにはゆっくり休みたいけど、俺って売れっ子だから許してくれないの」
やれやれといった風に肩を竦め、狗面の暗部はおどけた様子で両手を広げて見せた。
暗部の任務は機密性と隠密性が高く過酷なものばかりだと噂に聞いている。
軽い口調で誤魔化してはいるが、見ず知らずのイルカに愚痴を零してしまうぐらい目の前の男は疲れているのかもしれない。
それなのに、一人でいるイルカを心配して声を掛けてくれた。通り過ぎることだって出来たはずなのに、わざわざ姿を見せて傍に居てくれたのだ。
馬鹿みたいに優しい人だ。
そう思うと何故だか泣きそうになってイルカは困ってしまった。
「そっか…。あの、怪我しないように気をつけて下さいね」
横顔をじっと見詰めてそう言うと、男は驚いたようにイルカを振りむいた。
面を被っているので表情が分からない。気配も薄いので何を考えているのかもイルカには読みとれなかった。
もしかしたら不興を買ってしまったのだろうか、とイルカは肝を冷やす。
暗部に所属する者がそう簡単に怪我を負うわけがないのに。格下の者から心配されるなど屈辱だろうし余計なお世話でしかなかっただろう。
イルカは自分の浅墓な発言が恥ずかしくなり、こぶしを握って俯く。すると、にゅっと横から男の狗面が覗き込んで来た。
「いいね。そういうの」
「え?」
「暗部ってさ。火影様から直接任務貰うから、そうやって声掛けてくれる人いないんだよね」
「…そう、なんですか?」
「うん。そうなの。もちろん、暗部にも横のつながりがあるから、出立時に出くわせば声を掛け合うけど、基本的に俺って単独任務が多いからね~」
だから、そうやって優しく声を掛けて貰うのは久しぶり。
嬉しそうにそんなことを言われて、イルカは恐縮するべきなのか、先に失礼を詫びればいいのか分からなくなる。
いや、相手が喜んでいるのだから、詫びるのは変なのか。
混乱して再びぐるぐると考え込んだイルカの腕を男の手が優しく触れる。
温かい。
こうやって人肌を間近で感じることなど、ここ暫くなかったことだ。
野営地で仲間と肩を寄せ合って火を囲んだことはあったが、その時はまだ任務中でこんなことを考える余裕がイルカにはなかった。
「ね、聞いてる?」
「え?」
ぼーっと考え事をしていたら、いつの間にか男との距離が縮まっていた。
「あのさ、任務が終わったら会いに行くから…その時、アンタから『お帰り』って言って欲しいんだよね」
「へ?えっ?…あッ、俺が?」
「うん。そう、アンタがいい」
今日会ったばかりの一介の中忍に、目の前の暗部は甘えるように言葉を強請る。
「で、でも…」
「駄目?」
首を傾げて訊ねる男は何だかとても可愛かった。
昔、任務先で遠目に見た暗部は面で表情が分からないこともあって、ちょっと気味が悪いと思ったものだが、この男の動作は子供みたいで何処か憎めない。
狙ってやってるとしたらすごいなぁ、と少しズレたことを考えながらイルカはコクンと頷き了承の意を伝える。
「駄目じゃ、ないです」
「ホント?ありがとう。嬉しいなぁ」
面の所為でくぐもってはいたが、聞こえた声はとても弾んでいた。嘘を吐いてるわけでもその場しのぎの戯言でもないようだった。
釣られるようにイルカも嬉しくなって照れたようにはにかむと、動きを止めた男がじっとこちらを見詰めて来た。
何だろう?
表情が分からないので、動きを止められると何が言いたいのか判断出来なくなる。
「…あの?どうかしたんですか?」
「あ、ああ…。ごめん。もう行かなくちゃ」
掴まれたままだった腕から男の手がするりと離れた。
それを寂しいと感じた自分にイルカは驚く。
「実は…いつ帰れるか分からないんだよね」
「…え?」
「でも、絶対帰って来るから」
家を出たまま帰って来なかった両親がふいに思い浮かび、イルカの顔が強張る。
男はイルカの変化に気付いたのか、慌ててイルカの手をぎゅっと握り、「大丈夫。俺、強いから」と安心させるかのように言葉を続ける。
思いのほか強く握られた手の痛みに、イルカは我に返って男を見上げた。
「だから、アンタも元気でね」
これから過酷な任務に就くかもしれない相手から、心配されて慰めて貰うなんて可笑しな話だ。そもそもイルカに声を掛けて来たのだって、イルカの様子が変だったので心配になったからなのだろう。
何だかなぁ。
可笑しくなってイルカは苦笑する。
このお人好しの男を安心させるのが、今の自分の役目だと自然にそう思った。
「はい。俺、待ってます。無事帰って来て下さい」
ぎゅっと男の手を握り返して笑顔を見せると、面の向こうで嬉しそうに笑うのが分かった。
「ありがとう」
優しい声が耳に届いて、イルカはほっと安堵の息を吐き出す。
「じゃあ、約束ね」
指先で被っていた面をちょいっと上に持ち上げ、男の顔がイルカに近付く。
柔らかなものがイルカの唇に触れて、ちゅっと軽く啄む。
「いってきます」
キスをされたと思い至った時には、暗部の姿は煙を残して消えていた。
「ちょっっ!俺のファーストキスっ!!」
怒鳴ってみても既に男の気配は何処にもなかった。
見上げた月にも人影など映っているはずもなく。
そもそも中忍のイルカでは暗部が本気で気配を消してしまえば、感じることさえ出来るはずもないのだ。
「くっそ~っ!戻って来たら、ぜってー文句言ってやるっ!」
何度も足を踏みならし、月に向かって幾つも文句を並べ立てる。
応えは返らなかったが、イルカは次第に可笑しくなって、あ~あっと大きく溜息を吐く。
数分前、月を見上げた時に感じた寂しさや焦燥感は、気付けば何処かに消え去っていた。
「そろそろ帰るか」
寂しさや虚しさ、そういったものはこれからも胸につかえてイルカを苦しめるだろう。
でも、この空の何処かでイルカの些細な言葉を嬉しいと言ってくれた暗部がいると思うだけで、イルカは頑張れる気がした。
無事に――。
無事に、帰って来て下さい。
「…あれ?でも、あのヒト俺の名前知らないじゃん」
互いに名前を名乗らないまま別れてしまっていた。
相手は暗部だから名乗らないのは仕方がないとしても、イルカの名前を聞かなかったのは忘れていたのか、最初から聞く気がなかったのか…。
しかも、あの男はイルカの家だって知らないはずだ。どうやって帰って来たことをイルカに知らせるつもりだったのだろう。
「まあ、いいか」
他愛ない言葉遊びの一種だったとしても、嬉しいと告げられた言葉に嘘はなかったはずだ。
約束を忘れ、会いに来なくたっていい。
生きて、この里へ戻って来てくれれば、それだけで良かった。
暗部の安否などイルカの立場では知ることが出来ないけれど、無事を祈り信じて待つのはイルカの自由だ。
「早く帰って来いよ」
そっと小さく呟き、イルカは月に背を向け家路を急いだ。
そして、それからきっかり一年後――
何事もなくイルカの前に現れた狗面の暗部から、今日が誕生日だと聞かされるのは、また別のお話。
終
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カカ誕と言い張ってみるw
イルカ少年(青年?)は騙されてると思います(笑)
- 2009/09/13 (日) 04:32
- 短編