こっちを向いて
「やべぇ…風邪引いたかな」
朝、起きぬけに感じた咽喉の違和感は、午後になってから益々酷くなっていた。
イルカは咽喉に手をやり眉間にしわを寄せて唾を飲み込んでみたが、それで咽喉の痛みが緩和されるわけでもなく、困ったように軽く咳をする。
一応昼食後に風邪薬は飲んでおいたが、あまり効いてはいないようだ。
今すぐどうこうというわけではないけど、うっかり悪化させて休もうものなら予定していた諸々のスケジュールが狂ってしまう。それだけはなるべく避けたい。
休めば周囲に迷惑をかけてしまうし、自分にもしわ寄せが来るのは分かり切っていた。
(念のため薬飲んでおくか…)
夕方からは受付の当番が控えている。
軽く何か胃袋に収めて早めに薬を飲んでおいた方が得策だろう。
心なしか朝より体温が上がった気がするが、気のせい気のせい、と念仏を唱えるように脳内で繰り返し、イルカはズボンのポケットを探る。
「…あれ?」
昼休みに医務室で貰って来た風邪薬があるはずなのに、探る手にはそれらしきものが掴みとれない。
「おっかしいなぁ…」
何処かで落としたのか、それとも職員室の引き出しにでも入れて忘れたのか。
「あ~…どうしたっけかなぁ…」
ぐるぐると考えを巡らし、何だかどうでも良くなって来たイルカはかなり熱が上がっていたのだろうが、本人にはその自覚はない。
「まあ、いいや。また貰えばいいんだよな」
いつもより遠くに感じる医務室へ向かい、ドアに手を掛けようとしたところでガラリとそのドアが開き、中から人が出て来た。
「おっと、失礼…あれ?イルカ先生?」
「…あ…」
ぶつかりそうになり、慌てて横へ避けたイルカに誰かが謝罪を言いかけ、そしてイルカの名前を呼んだ。
びくり、と肩が震えそれを誤魔化すように背筋を正してお辞儀をする。
「ごめんね。人がいるとは思わなくって」
「いえ。こちらこそ、すみません」
「いえいえ」
穏やかな対応にほっと息を吐く。
医務室から出て来た人物は銀髪の上忍、カカシだった。
中忍選抜試験の件で言い合って以来、何となく話しかけ辛くて避けていた相手だ。
嫌っているわけではない。むしろ今でも尊敬する上忍の一人だ。
あの中忍選抜試験での諍いは、カカシの台詞にも問題があったが、イルカにも非がある。
冷静に考えられるようになった今では、思い返しては後悔するばかりだが、謝罪するタイミングを逃してしまったために気まずさで顔を見られなくなっていた。
「医務室に用があるんだよね?」
「は、はい」
「怪我でもした?」
「あ、いえ。ちょっと風邪っぽくて薬を貰いに」
直視出来ず僅かに視線を逸らせながら、イルカはここに来た説明をした。
体温が更に上がった気がする。
「じゃあ、邪魔して悪かったね」
どうぞ、と場所を譲るカカシの気配はとても優しいものだ。
イルカとの諍いなどなかったかのような対応に、カカシの器の大きさを感じ取り、イルカは益々いたたまれなくなる。
単にイルカのことなど眼中にないだけかもしれないが、こだわり続ける自分が情けないことに変わりはない。
「すみません。失礼します」
入れ違いにドアをくぐり抜けようとした時、イルカの肩にポンとカカシの手が置かれた。
「え…?」
視線を上げるとカカシの銀色の髪が目の前にさらりと落ちた。
驚きに瞬きをした一瞬後には銀色の睫毛に縁取られた蒼い瞳がイルカの間近に迫る。
「カ、カカシせ…っ」
息が止まるかと思った。
柔らかな唇がイルカの唇を塞ぎ、熱くぬめったものが咥内に入り込んだ。
「っ…ん、…っ」
ぐっと両肩を掴まれ唇が離れる。
茫然と目の前に立つカカシを見詰めると、にこりと微笑んでカカシは何事もなかったかのように口布を上げた。
カカシの顔を真正面から見るのは実に数カ月ぶりのことだ。
「な、…っあの、今っ…」
何が起こったのか理解が追いつかない。
「やっと、こっち向いた」
あわあわと口を動かすイルカをカカシは小首を傾げて見降ろしていたが、落ち着かせるようにポンポンとイルカの肩を軽く叩くとそんなことを呟いた。
「その飴あげます」
「へ?…え、あ…」
「それじゃあ、お大事に。またね、イルカ先生」
ひらりと片手を振って立ち去るカカシをイルカはやはり茫然と見送る。
姿が見えなくなると同時に膝から力が抜けて床に座り込んだ。
「…な、何考えてんだ…あの人」
カカシの唇に触れられたところが燃えるように熱い。
両手で唇を押さえると、口の中で小さな飴玉がカラリと音を立てて転がった。
終わり
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意識し始めた時のもじもじした感じが好きですw
2009.11.21
- 2010/02/03 (水) 02:08
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