鼓動に口付け
「そういえば、聞きましたよ」
「え?」
昼下がりの受付でイルカが受け取った報告書をチェックしていると、目の前に立っていたカカシがふいに声をかけて来た。
何だろうかと首を傾げるイルカを見下ろし、カカシは目を細めてふふっと笑う。
「今年のバレンタインデーに受付でチョコを配ったんでしょ?」
カカシの言う通り今年のバレンタインデーは五代目の発案で受付に来た者達にはチョコレートを配ることになった。
対象は性別関係なく受付に来た者全てで、当初はどうなることかと不安だったが、思っていたよりも反応が良くてほっとしたものだ。
配り手が男じゃなければもっと良かったのに、という感想も出たようだが、その辺は大目に見て貰いたい。
「俺、丁度任務に出ていて貰えなかったんですよね~」
そういえば、カカシはバレンタインデーを挟んだ一ヶ月の期間任務で里を離れていた。チョコを渡せなかったくのいち達が酷く残念がっていたのはイルカも耳にしている。
「折角、イルカ先生からチョコを貰えるチャンスだったのになぁ」
「何言ってんですか。すっごくモテる人が」
残念無念と言って肩を竦めておどけるカカシに合わせ、イルカも軽口で応酬する。
「いや、でも帰還が一日遅かった奴なんて悔しがってましたよ。知ってたらもっと早く帰ったのにって」
「あはは。それは申し訳なかったですね」
カカシも悔しいと思ってくれたのだろうか。そんなことを考えながら手に持ったペンを弄る。
「ホワイトデーは何もやらないの?」
「流石にそこまでは、予算出なくて…」
一応話は出たようだが、上の方から許可が出なかった。
「あらら、それは残念」
「すみません」
出来ればイルカだってカカシに渡したかった。男の自分がチョコレートを渡すのは、こんな大義名分がない限り出来なかっただろうから。
溜息を押し殺し、最後の項目をチェックして受領印を押す。
報告書を確認する僅かな時間だったが、久しぶりにカカシと会えて少しでも話すことが出来たのは嬉しかった。
「受領しました。任務お疲れ様です。…あ、あとこれ…」
ドキドキしながらそっとカカシの手のひらに小さなチョコレートを乗せる。バレンタインデーで配った残りだ。人が少ない時間帯とはいえ、カカシだけに渡すのは何となく気が引ける。
「……他の人には内緒ですよ」
こそっと小さく囁くとカカシは一瞬驚いたような顔をして、それからとても嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう、せんせ。…嬉しいなぁ」
「大したもんじゃなくてすみません」
照れ臭くてなって視線を逸らすと、ふわりと風が動いて視界が陰る。
「……え?」
柔らかなものがイルカの唇に触れ、ちゅっと小さく音を立ててカカシの顔が離れた。
「…………え?」
「チョコのお返しです」
にっこりと微笑んだカカシが口布を元に戻してそう答えた。男前なのだろうとは思っていたが、カカシは想像以上に整った顔をしていた。初めてカカシの素顔を見たイルカは状況も忘れて見惚れてしまった。
ざわりと周囲が騒々しくなり、ぼーっとしていたイルカは、はっと我に返る。
「……え?…お返しって……え?…えええ!?」
「次はメシでも食いに行きましょ」
うろたえ真っ赤になったイルカを尻目に、カカシはひらひらと手を振り「約束ね」と言って受付所から姿を消す。
「お、おい!イルカ、何だよ今の!」
隣に座っていた同僚がイルカの肩を揺すりながら大声で叫ぶ。周りからも凄い勢いで何事かを問われるが、イルカ本人はそれどころではない。
バクバクと心臓が激しく鼓動する。苦しくて今にも倒れそうだ。
「ああ、もう…。俺、死んじまいそう…」
いつか絶対、自分はカカシに殺される。
何を思ってあんなことをしたのか。考えてもイルカに分かる筈もない。
とっとと立ち去った男を恨めしく思い、イルカは机に突っ伏すと、未だ走り続ける鼓動に耳を澄ましてそっと胸を押さえた。
終
- 2011/03/05 (土) 23:57
- 短編