細手長手
※短編「白い腕」の別バージョンとして書いたものです。
『細手長手』
「ねえ、イルカ先生。細手長手って知ってます?」
熱燗をちびりと口に含ませ、カカシは唐突にそんな事を聞いて来た。
「ほそでながて?…何ですかソレ?」
「吉凶禍福の前兆に現れる座敷童子の一種らしいですよ」
カカシ曰く、座敷の襖の隙間から細くて長い子供の手が出て来て、手招くような仕草をするのだという。
昔、とある宿に泊まった男がそこで細手長手と出くわした。2・3歳くらいの子供の手のように見えるが、腕が二尺もあり、まるで蔓のようだったらしい。その時は何事もなく男は帰宅したのだけど、後日大津波により妻子を亡くしたのだそうだ。
「へぇ…」
相槌を打ちながらイルカはちらりと窓を見る。外は数日前から土砂降りの雨が降り続いている。土砂崩れや川の決壊を恐れて、今朝は五代目から補強作業をするように指示が出ていた。大丈夫だと思うが、何だか嫌な話題だ。
カカシは何故急にそんなことを話出したのだろうか。
先程まで上機嫌な様子で酒を飲んでいたのに。酒の席の話題にしてはあまり面白くもないし、唐突すぎる。
窓からカカシの方へと意識を戻すと、イルカを見ていたらしくカカシと視線がかち合う。
「……俺ね。見たことあるんです」
「…え?」
「子供の頃ですけどね。今日みたいに雨が降っていた時です」
また一口酒を含み、カカシは微かに目を伏せる。
「その日は雨で任務が中止になって、久しぶりに父と朝から二人きりで過ごしていました」
特に会話らしい会話はなかったが、居間として使っていた部屋で各々忍具の手入れなどをして過ごしていた。幼かったがカカシはもう立派に忍者として任務をこなしていたのだ。カカシがふと気配を感じて顔を上げると、襖の隙間から細くて長い手が伸びていて、カカシの父親の背後でゆらゆらと手招きをしているのが見えた。
ぎょっとして父に警告したが、振り向いた父にはそれが見えていないようだった。
手裏剣を投げても、忍刀で切りつけてもまったく手応えがない。
「どうしたんだ。カカシ、任務で疲れているのか?」
心配そうに、自分より遥かに疲れたような顔でそんなことを言う父親に、カカシはそれ以上何も言えなくなる。気が付くとその手はいつの間にか消えてしまっていた。
「その数日後、父親は死んでしまいました…」
「…………」
「あれが関係しているのかなんて分からないんですけど、雨が降るとふと思い出すんですよね」
ふう、と息を吐いてカカシが微笑む。
「変なこと言いだしてすみません」
「……カカシさん」
そっと手を伸ばして頬を撫でると、カカシは甘えるように手のひらに顔を寄せ、瞳を閉じる。
もしかしたら、とイルカは思う。
今、カカシの眼にはその細手長手が見えているのかもしれない。
自分の背後に得体のしれないものがゆらゆら揺れているとしたらさすがに怖くもなるが、イルカを怖がらせるためだけに奇妙な思い出話をしたとも思えない。この話題はカカシなりの警告のつもりなのだろうか。
「大丈夫ですよ。俺には両親と三代目の加護があるんです」
大津波が襲って来ても、波はイルカを避けて通ってしまうのだ。
そうおどけて答えると、カカシは大きく目を見開き、ぱちりと瞬きをする。
「…それは、すごい加護ですね」
「でしょ?最強ですよ」
「そういえば、先生は水遁が得意でしたっけ」
「そうですよ。上忍にだってひけを取りません。大津波が襲って来たら、俺がカカシさんを守ってあげますよ」
胸を張って答えれば、それは頼もしいとカカシが嬉しそうに笑う。
「だから安心して下さい」
肩に手を置き、カカシの頭を胸元へ引き寄せる。さしたる抵抗もなくカカシはイルカの胸に顔を埋めた。
「頼もしいなぁ」
大きく息を吸って吐き出し、カカシはイルカの腰を抱くように腕を回す。顔を上げたカカシがねだるように唇を寄せてくる。
随分弱っているなぁと思ったが、口には出さなかった。
カカシの望むまま唇を深く合わせ、ざあざあと振り続ける雨音を聞きながら、イルカは身体中に手を這わすカカシをそっと窺う。
節くれだった白く長い指が、イルカの身体を確かめるようになぞって行く。
この腕がイルカの身体を、心を、欲してやまない限り、細手長手に呼ばれることなどないのだと、どうやったらカカシに理解させることが出来るのだろうか。
ぼんやりとそんな事を思いつつ、イルカはカカシの腕の中に溺れていった。
終
- 2013/08/10 (土) 12:12
- 拍手小話